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​活 動 の 軌 跡

​1996年

1月

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    埼玉県都幾川村 野口家所蔵
比企丘陵高山不動附近にて捕獲されたものだが、
発見時家の厄除けとして玄関脇にぶら提げられていたと言う。

3月

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無造作に画鋲で戸板に張られていた。

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捨てようと思った事も有ったと言う・・・所有者の内田さん。

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階段の上り口に飾られていた為、毛は退色しなかった。

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シンラ(新潮社)の編集者からインビューを受ける所有者。

所有者はこの標本の重要さを認識していなかった。
甥だけはもしかしてと考え、近くに在る県立自然史博物館に話を持ち込んだ事があった。
しかし博物館は、有り得ない話として毛皮を見にさえ来なかった。
この時の教訓を私は座右の銘とし、標本の情報は当然の事、生存情報にも全て耳を傾け、現場まで脚を運ぶ事としている。

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国立科学博物館の小原巌先生と(左端)

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元・国立科学博物館の吉行瑞子先生(左)と恩人である井上百合子さん

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秩父市品沢 多比羅家所蔵二ホンオオカミ頭骨
憑き物落としで貸し出す度削られて、中心が見える状態になっている。

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埼玉県小鹿野町 常木家所蔵
二ホンオオカミ下顎吻端部

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東京都下桧原村郷土資料館蔵
 ニホンオオカミの脊椎骨。
 同村人里(へんぼり)の川原で採集され、近くの飯綱神社に保管されていた標本。

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東京都青梅市井上家蔵
二ホンオオカミ上下顎骨と骨盤、版木。
この外に数珠も伝わっている。
版木の裏面には「文政二卯年」と記されている。

4月

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東京都青梅市 片柳家所蔵二ホンオオカミ頭骨
御覧の通り原型を留めていない状態の標本。
勿論憑き物落としで削った為であるが、ニホンオオカミの特徴である神経孔は4穴存在する。

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東京都日ノ出村井上家蔵
1996年4月調査の標本だが、そのわずか10年前、千葉県在住の人に憑き物落としで貸し出したとの事である。

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撃ち取った井上シシトラ(大正8年89歳で没)翁と筆者である私。
井上家には3丁の火縄銃が保管されていて、映画撮影にも使われる事が有ると言う。

5月

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青森県十和田市正法寺蔵
二ホンオオカミ右後足下腿部先端部。
百数十年前、土地の猟師が射殺し、五戸代官所に差し出したものの一部と伝わる。

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そのころまだ、標茶町の桑原家のシンリンオオカミは獣舎の中で飼育されていた。
オオカミの犬歯も磨り減って短くなっている。
長崎の出島で飼育されていた、ライデンのタイプC標本の様に。
右上の写真は、宿泊先の養老牛温泉に在ったヒグマの足先。

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北海道大学所蔵の蝦夷オオカミ剥製標本

7月

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上田高校に所蔵されている頭骨。
上田市の東北方にそびえる烏帽子岳山麓で捕獲されたと伝えられる。
ニホンオオカミの標本が高校に保管されているのは、他に石川県七尾高校が在る。
二ホンオオカミが取り持つ縁で、両校は姉妹校の縁を結んでいると聞く。

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長野県天龍村向方の所謂『オカタの山の神』
長野市の県立自然史博物館に展示されると聞き、
調査に出向いたが、あまりの暑さに計測道具一切を忘れてしまった。
同行の大場氏のスケッチで事を済まそうとも考えたが、
結局後日天龍村まで出向いて、再調査に及んだ。

山梨県上黒平 西山家所蔵の標本。
私の尊敬する清水大典先生が、終戦前後に発見された標本で、昇仙峡の奥深く金峰山の麓の山中で明治12年頃撃ち取ったと伝えられる。

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飯田市龍江尾林、林家所蔵上顎吻端部。
各地に残されている上顎吻端部は、破損された状態で保管されている事が多い。

山道を迷いに迷った末辿り着いた林家だったが、
大黒柱の余りにも太い造作に圧倒されてしまった。
神社仏閣は別として、以後林家に勝る大黒柱にはお目にかかっていない。

9

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国立科学博物館  標本No.M100
頭骨を含む全身骨格、剥製、が揃った二ホンオオカミの標本は、世界中探しても、M100だけである。

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国立科学博物館 標本No.1185
今泉吉典博士の記するところによると、「福井藩主の兄弟、柴之庄(福井県松岡町)に封ぜられ、五万石の城主となりし時、同町の吉川氏に九谷焼の菓子鉢と共に恵与され(1830~1850)吉川家に所蔵さる。
三代後の吉川千百里氏は中野区に於いて古物商を営み、寄贈者(長田真理和、関下俊英両氏)が之より購入(1950年7月9日)した」とあって、博物館は昭和25
年(1950) 七月 十三日入手。

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国立科学博物館 標本No.12919
民間研究者の先駆け、神奈川県奏野市の梅沢英三氏が、科博に寄贈した下顎骨で、紅色の漆が塗布されている。

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国立科学博物館標本No.26696
東京都奥多摩町棚沢産二ホンオオカミ上下顎。
1986
年11月29日、加藤嘉太郎氏よりの標本。

11月

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1996年11月、ニッポン放送、フジTVの収録後のスナップ。
後列右奥の岡田氏は京都在住の友人でフィールドワークの柱。
前列左の赤いベストは大場氏。この方の手ほどきで様々な文献に触れることが出来た。
奥武蔵研究会の重鎮、秋澤氏御夫妻の顔も見える。

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